小千谷縮の歴史
新潟・小千谷を含む越後地方では、古くから麻織物が作られてきました。 越後の麻布は奈良時代の記録にも見られ、朝廷への貢納品や礼物として用いられるなど、 早い時代から上質な織物として知られていたことがうかがえます。
雪深い魚沼・小千谷の気候は、乾燥を嫌う苧麻の糸を扱うのに適していました。 冬の農閑期には、糸を績み、布を織る仕事が地域の重要な生業となり、 越後の麻布は次第に日本を代表する織物のひとつとして発展していきます。
戦国から近世にかけては、青苧や麻布の生産・流通が地域経済を支える重要な産業となりました。 魚沼地方にも深い関わりを持つ直江兼続の時代には、米づくりだけでなく青苧や麻布も重視され、 越後の布は京や江戸へ運ばれる価値ある産物となっていきました。
ここまでは主に越後布の歴史ですが、江戸時代に入ると、小千谷縮の成立につながる大きな転機が訪れます。 播州明石から来たといわれる堀次郎将俊が、当時の越後麻布に工夫を加え、 緯糸に強い撚りをかけてシボを出す技術を取り入れたことで、縮布の原型が生まれたと伝えられています。
この改良によって生まれた越後縮は、麻でありながら独特のシボを持ち、 肌にまとわりつきにくい涼やかな布として評価されました。 やがて夏の高級織物として全国に知られるようになり、諸大名の御用布や町人の夏衣としても広く用いられるようになります。
堀次郎は、小千谷の山谷で妻や娘と暮らしながら、縮布の技術を村人に伝えたとされています。 その技術は徐々に魚沼地方一帯へ広がり、越後縮は小千谷の名とともに知られるようになりました。
江戸時代には、小千谷縮は高級な夏の麻布として大きな人気を得ます。 その評価の高さから、時には贅沢品として奢侈禁止令の対象になったとも伝えられています。 その後、越後縮は小千谷縮の名で受け継がれ、現在でも夏の衣料用素材として高い評価を得ています。
堀次郎の死後、その功績を称えて明石堂が建てられました。 小千谷では現在も、堀次郎将俊の存在は小千谷縮の歴史を語るうえで欠かせないものとして伝えられています。
越後上布・小千谷縮年表
717〜724年
749年
927年
1059年
1192年
1486年
1576年
1586年
1596〜1615年
1661〜1673年
1673〜1681年
1785年
1830〜1844年
1868年
1873年
1878年9月
1955年5月12日
1960年4月
2009年9月30日
