神無月の四日、本日は一五夜です。
一年のうち最も空気が澄み、月が明るく見える日。
月を思い、月を語らうのにうってつけの日。
何かと準備や気構えが必要になるお月見ですが、その様式や振る舞いも人それぞれかと思います。支度や食べ物に追われてそれだけで終わってしまうもの(初心者)、余裕が出てスマホ片手にSNSに興じるもの(中級者)、盃のお酒に月を映して月影を飲み干すもの(上級者)…共通するのは誰も大して月を見ていない、ということになるでしょうか。しかし、辞書に言わせれば月見とは “月を見て楽しむこと“ なのだそうです。何とも読んだままのいい加減な定義でありますが、いい加減であっても本質を捉えているのが辞書というものです。つまり団子もススキも縁側も必要なく、大切なのは月を楽しむ気持ちである、と。自分の部屋で煙草でも燻らせながらぼうっと月を眺めたとしても、楽しくさえあればそれは立派な月見となり、中秋の煙月となり得る・・・らしいのです。(辞書によれば)
さて、月に魅せられ月に酔うのは古の時代より続く万人の共通事象でありますが、よくよく考えれば月はただの凸凹に覆われた岩石の塊でしかなく、本当に美しいかどうかも怪しい代物だったりします。月の美の根拠はよく分からないというのが実際のところで、それが街の景観との調和の具合によるものなのか、月にまつわる芸術や物語による洗脳のせいであるのか、自身の心情との照らし合わせから来るものなのかは分かりませんが、単一的な理由でないことは確かだと思います。所詮、印象や美といったものは自身を取り巻く環境やら心情との相対の関係性でしかなく、時代や場所が変われば美の性質はいくらでも変わり得て、それ故に月は見飽きることがない、とも言えるかもしれません。
また、月の誕生の起源は未だはっきりしてはおりませんが、母星を眺めるが如くの人類の月への親愛の情を鑑みれば、かつて月は地球の一部であった、とするのが美の根拠の説明にも適ってくるように思われます。無論、愛は科学に組み入ることはできないので、証拠にはなり得ない訳でありますが・・・
月が最適な角度で昇るこの時節、月と真剣に向かい合ってみるのも悪くないと思います。