震災から10年、改めて亡くなられた方、被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます、この地域の皆さんは様々な形で被災をし、10年という時を経て言葉に出来ないご苦労をされてきたのかなという思いがあります。
2004年10月23日午後5時56分、そのとき私は同じく震度7に襲われた川口に向かうべく、旭町の三国街道の交差点(2年後の本社移転地の直ぐ脇)で信号待ちをしており、ほぼ震度7に近い地域でとんでもない大きな揺れに襲われ、何がなんだかわからないまま、ただただ恐怖と驚きで一気に混乱の渦に巻き込まれました。ひたすら自宅に向けて戻る際、周辺は妙な静けさに包まれ更に恐怖心が増したのを覚えています、道の状態や周辺の様子は全く記憶がなく、家族の無事や家の様子の事で頭が真っ白になりました。自宅に戻ると周辺には様々な落下物が散乱し、外壁は崩れ落ち、屋外階段からして落ちないもののひびだらけで、入り口のドアはひん曲がり開いたまま、玄関から足の踏み場もなく、下駄箱や食器棚などの家具が倒れ、食器や花器、照明下駄箱は倒れ花器が散乱し、最初に入った部屋のリビングは大型サッシが2枚中に倒れ落ち、2枚は外に外れ落ち、シャンデリアはこっぱみじん、TVは3mも吹っ飛び、食器棚が倒れ中にあった珈琲カップのコレクションは全てガレキになっていました。
そんな中でも幸い家族やお客様は皆無事で、休日だった会社の皆の無事も確認をしました。みんなの元気な顔を見たときはへなへなと腰が砕けてしまいました。その次は会社の事です、本社事務所は見るも無残に全てのものが倒れ、落下しめちゃくちゃの状態でしたが、家族や社員の安全を確かめた段階で、さあこれからどうしようと妙に腹が据わったのを覚えております、さあ工場はどうなったか?幸いにも会社が休みの日で人の被害が無いことは解っていたのですが、見に行った社員から一報が入り、工場はひどい状態でした。ここから3ヶ月間全く仕事ができる状態ではなく、4棟あった工場のうち2棟は立ち入れないほど全壊で、社員全員で後2棟の復旧に着手し、何とか今までの半分の生産量まで持ってこれたのが地震から6ヵ月後でした。
2年後の2006年6月に本社と工場の全面移転、新たな場所での移転を決意させたものは、全国のお客様からの暖かい励ましと支援でした、震災時は全国から300件のお見舞いいただき大変大きな感動と勇気を頂きました。本当に有難うございました。
あまり思い出したくは無いですが、当時のことを振り返ると、良く今の状況まで持って来れたなと実感いたします。
地震から10年!、今日まで支えていただきました皆様方に、改めて御礼申し上げます。
社員一同、これからも頑張って参りますので、今後とも宜しくお願いいたします。
2014年10月23日
水田株式会社 代表取締役 水田育夫